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「社長が事故って意識不明で復帰できないから転職活動してくれ」と入社約1ヶ月後に言われて住所不定無職になった(後編)

前回のつづき

 

seong15.hatenablog.com

 

 
無職が確定したので、とりあえず転職活動するかと思って、4社ほど転職エージェントに登録した(もしかしたら、もっと情緒的な人なら途方に暮れたり、社長を支えますとか言ったりするのかもしれないけど、そこらへんのネジがぶっとんでる人間らしく、「とりあえず動けばなんとかなるか」と思っていた。その後、辛い辛い転職活動が待っていたのだが…)
 
大手3社、中小で自分のコネで案件をひっぱってきているようなところが1社。ちなみにリクルートエージェントは対応がむかついたので使わなかった。
 
転職にあたって、副社長から、「知り合いの社長が引き取ってくれるって言ってたけど、話だけでも聞いてみれば?」と言われていたが、返答は濁していた。
理由は簡単で、人のコネで入るのが嫌だった。「一つのところにいる保証なんてないし、辞めるとなったら紹介してくれた人のメンツがたたなくなるから」と、そう思っていた。誰かにお願いして自分の人生の重要事項を決めるのは、本当に窮地に立たされてからでいいし、まだそこじゃないと思っていた。端から見たら、とっても窮地にたたされているのだけど笑、そうやって振った話が2つもあったのだから、若いっていいよな。
 
エージェントに登録して、50社ほどサクサク応募した。中小の新卒使い捨て文化の会社にいて、たかだか130%くらいしか達成していない自分は量を受けないと決まらないと思っていたからだ。
意外にも、「無形商材営業、第二新卒」は市場ではニーズがあった。風通しがよさそうなネットベンチャーに的を絞っていたのだが、結果的に30社ほど面接にいった。
(一応、名の通った大学に行っていたので、そこらへんもアドバンテージだったのかもしれない)
 
1日に2、3件の面接をこなして、何も無い日は、家事をして、彼氏のシャツにアイロンなんかかけながら「あー、こんな風に専業主婦っぽいことするのも、最初で最後だろうなー」と思っていた。
 
ちなみにこの彼氏は、私が転職活動中は一切サポートしてくれなかった。別に一日中寄り添ってどうのこうのしてくれる必要はなかったのだが、さすがに私も次どうするか真剣に悩んでいる中で、気持ち的に参る事もあった。しかし彼は「転職活動どう?」だったり、「大丈夫?」だったり、気遣う質問は一切してこなかった。
むしろ、友達と遊びに行ってしまったり、朝まで帰ってこないということのほうが大半だった。
私はその行動にイライラしながらも「あー、精神的に幼い旦那を持つ専業主婦ってこんな気持ちなんだろうな」と状況を客観視していた。
そういう希薄な間柄だったから別れたんだと思うし、もしかしたら若い男性というのはそういうものなのかもしれない。私からもっと「話をきいて」と頼ればよかったのかもしれないが、そこまでしたいと思える間柄でなかったというのも事実だ。なぜか当時は彼とつき合っている事に惨めさを感じていたのだが、振り返ってみると、希薄な恋愛関係は人を惨めな気持ちにさせるのかもしれない。
 
 
話を戻す。
転職活動は、最終的に5・6社ほど最終面接となった。一番初めに内定をもらった会社は何かの研修を売ってる会社だったが、断った。始業と終業の時間にチャイムが鳴る会社で、「中学校みたいだから無理」と思った。
 
2社目に内定を貰った会社は、丸の内にある大きな会社だった。1部署の人数だけで、前の会社の全体と同じくらいの人数いた。
統括部長、役員と話をしてみて、「この人たちなら信用できるかな」と思って入社を決めた。
そのときの話はまた後日に書く。
 
ちょうど、会社をたたむタイムリミットの2ヶ月が終わる頃だった。秋口だった。
内定を受けた翌々日、実家に帰って、そこから1週間くらいのんびりした。親に「心配かけてごめん」と伝えたら、父親に「俺はお前に何があってもおかしくないと思ってる」と言われてしまった。あの…私…一応女なんですけど…。
 
丸の内の会社では、入社後の配属先で極めて丁重に扱ってもらった。人生の中で「幸せな時間」がいくつかあるとしたら、そのうちの一つだったと思う。それもまた別の記事で書く。
 
働いてしばらく経った後、たしか翌年の春先の話だったと思うが、事故った社長からメールがきた。
携帯が使えるまでに回復したらしい。
メールの内容はこんなかんじだった。
 
「俺のわがままや身勝手で、結果的に色々迷惑をかけて、申し訳なく思っている。」
 
私は「リハビリがんばってください!」という、極めて当たり障りのないレスを返した。
 
事情を知る友人は「ずいぶん大人なレスをしたねww」と言っていたが、
私の中には「人生めちゃめちゃにされた!責任とれ!」とか、そういうたぐいの気持ちは無かったし、
むしろ「ああ、謝罪するというのは自己満足だな」とか、「奥さんと子供は大丈夫かな」と思う気持ちの方が強かった。憐憫である。
 
 
この件で私が学んだのは、人には「身の丈」というものがあるんだろうなということだった。
彼はおそらく、大手でぬくぬくやっていたら、こんな風になる事も無かったのだろう。元々お坊ちゃん育ちだったようだし、ベンチャーのようにドライで、結果主義の人間が活き活きするような畑には来ない方がよかったのかもしれない。変な言い方だが、私はむしろ、事故は神様のプレゼントだったんじゃないかと思っている。
彼があのまま事故に遭わずに会社をつづけていたら、謎の資金繰りをして、IPOもバイアウトもできず、そのまま会社を潰していたんじゃないだろうか。
もしくは、もっとワーストコースを走っていたかもしれない。
 
自分の身の丈に合った枠にいないと、運命とか、神様みたいなものの力で、強制的にそこからはじき出される。そういう事例だったんじゃないかと思う。
 
それは、結局この時の事件を経て、大きい会社に入社した私にも言えた事だ。
情緒的で感情的でわがままで自分の思った事を絶対曲げない、そんな「社長」という生き物をいなしながら、自分のやりたい事をやるには、当時の私は力量不足だったのだ。
おせっかいな何かに、「もう少し人にもまれなさい」と、道を決められた、そういうことだったように思う。
(その証拠に、入社してもいいかなと思える会社から内定をもらえたのは、この時入社した1社だけだった。私の行く道は、何かによって自動的に決まっているんだろうなと思った)
 
実際、その後の4年近く、私はその時入った会社で,居心地よく、ぬくぬくと、「大手にいるメリット」みたいなのを享受することができた。
一応、しっかり仕事もしていたので、お客さんもついてきた。本当に関わりの深いお客さんは、今は友人と化し、仕事人としての期待と、友としての親交と、両方をもって関わってもらっている。

「社長が事故って意識不明で復帰できないから転職活動してくれ」と入社約1ヶ月後に言われて住所不定無職になった(前編)

 
現在進行形の話ではないが、面白い話だといろんな人に言われるので、振り返りがてら書いてみる。内容は淡々としているので、ドラマティックなかんじはない。
 
それはちょうど今と同じく夏で、7月だったと思う。私は新卒で2年3ヶ月つとめた100人くらいの会社を辞めて、その年の春に立ち上がったまだ2人のベンチャーに3人目のメンバーとしてジョインした。
 
ベンチャーという選択をした理由については、いろいろある。簡単にまとめると、自分の会社選びのセンスに自信がなかったので、ベンチャーだったら金さえあれば好き勝手できるかな、と思っていた。
 
「自分に会社選びのセンスがない」と思っていた理由は、簡単に言うと1社目でモラハラとセクハラとパワハラと女性の先輩からのイジメを受けたから…というと大げさだが、まあ大体そんなかんじの方向性のことがあって、「あーなんか嫌な予感してたけどこういうことだったかー内定辞退しとけばよかったー・・・!」と心底思っていたからだった(かといって、他に内定がとれていたところもなかったので、そこに行くしかなかったけど)。

  

入社から2年、営業職として、一応年間で130〜150%くらい達成できるようになっていたのと、当時担当していたとあるネットベンチャーのお客様から「君にはもっと高みを見てほしい…事業をきちんと持っている会社に行く事を心底お勧めする!」と言ってもらった。「あー、そういう風に言ってもらえるくらいにはビジネスマンとして価値のある人間になったのかな」と思い、転職先を探し始める段階だった。
 
 
ちょうどその頃知り合ったのが、そのできたてほやほやの会社の社長であり、彼から「お前を育成してみたい」と言われていた。100人程度の会社でたかだか130%くらいの達成率で、自分に転職会社経由で売れる市場価値があると思っていなかった私は、「そこまで言うなら、お手並み拝見」と思って入社を決めた。
 
ただ、先述の通り、相手は大手企業出身。しかも金持ちの家に育ったボンボンで、本当に、ゼロから数字を作るのはどういうことなのか、ぜんぜんイメージをもっている人ではなかった。金もじゃぶじゃぶ使うタイプだった(スタートアップなぞ6帖のマンションオフィスでいいのに、私の入社直前にやたらいい物件を借りていて、ドン引きした)。
かたや、新卒1〜3年目の間にリーマンショックがあって、焼け野原しか見ていない私は、目の前のお金の1円1円が痛いほど大切、という仕事観だった。「この1円を逃したらやばい」「話がきたものは全て決めなければならない」
そういう状況を若手時代に経験できたことは本当にこの先も活きる経験だったとおもうのだが、そういう具合で、私たちは対局だった。
 
私が相手の人柄をよく観察せず入社したものだから、3週間の短い間で、事業の中身からコミュニケーションの取り方まで、とにかく悪い感じにぶつかっていた。夢とフワフワした実行方法しか話さない社長、「社長の言ってるやり方で金が儲かるイメージがありません」と顔に出す私、そういう構図だった。
 
一番決定的に「あ、こりゃだめだな」とおもった瞬間はこんなかんじだ。
 
・これから会社の資金ほとんどを投じて始める事業について社長の構想の説明を受ける
・中身としては、オタク向けのネットサービス
・元々ビックサイトで夏と冬に薄い本を売っていた私から見て「絶対オタクの間では流行らない!!!」という香りしかしない
・私「いや、それは上手く行かないと思います。やるならそこじゃなくてもっとこんなかんじです」
・社長「お前は俺のことを助けようとしていない(激昂した顔)」
・私「???????」
 
私の心の声:資本金がたいして無い会社で、毎月キャッシュが100万ずつ出て行ってる状態で、キャッシュアウトまであと6ヶ月しかなくて、そういう制限の中で「うわーこれ儲からないよ!」と思った事業に対して、「儲からないと思いますよ」と伝える事は、本人を手助けしていないのだろうか??お前会社成功させるんじゃないのか???というか、そんな「俺を手助けしてない」とか情緒的なコメントまじ時間の無駄キレるヒマがあるならビジョンに対して良くて儲かる事業を考えろよ!
 
こんなかんじで、毎日心の中で盛大なツッコミをいれていたが、言ったら刺されそうだったので言わなかった(指摘されてキレるなら入社させるなよというかんじだが…。)
 
 
そんなことがあったので、「アー私って会社見る目だけじゃなくて人を見る目も無いのかなーへこむー!」という気持ちだった。今振り返れば、25歳の小娘が看破できる他人の人間性なんてこんなものだったけど。社長自身にもあまり興味がなかったのも事実だ(だって、彼の言ってる話が全然心に響かなかったのだ。面白そうだと思ったのは会社の事業ドメインだけだった)
 
「あー会社いきたくねー社長に会いたくねーめんどくせー、私この会社絶対長くないよ」と入社日から思って3週間、社長と副社長が出張に地方で行った2日後ぐらいに、私は関内の店で友人たちとゴハンをたべていた。その時、副社長から電話があった。嫌だなーと思いながら、電話に出た。
 
副社長「もしもし?今大丈夫?」
私「ハイ」(酒に酔ってる)
副社長「落ち着いて聞いてくれる?社長が事故にあった」
私「…はい?」
副社長「詳しい状況はまだ検査が終わらないとなんともいえないんだけど」
私「はあ…(事故ってどのレベルだ?)」
副社長「かなりの大事故だから、今後会社がどうなるかわからない」
私「はあ(なるほど、あかんやつや)」
副社長「また追って連絡するから」
私「あ、よろしくおねがいします」
 
友人たち「どうしたのー?」
私「なんか、社長が事故ったって」
友人たち「ええっ!?大丈夫なのそれ!?」
私「大丈夫かどうかが今わかんないけど、やばそうだった」
友人たち「そっかー、どうなっちゃうの?」
私「わかんない。とりあえずゴハンたべよ」
 
自分が冷たい人間なのかどうかはわからないが、わりとすんなり事実を受け入れていた。というよりも「私絶対この会社長くないよ」と思ってすぐにこんなかんじだったので、事故そのものよりも、自分の「次のステップ引き寄せ」具合に驚いていた。また、その時点で、今後自分や会社がどうなるか、2つの方向性を考えていた。
 
1:会社解散
2:社長抜きで会社継続
 
状況がなんとも定まらなかったが、私の中では「せっかくハコはあるんだから、社長抜きで出来ないかな…」と思っていた。もうベンダーにもプロジェクトはお願いしてしまっているし、事業もまだ手を入れればなんとかなる状態だと思っていたからだ。
 
 
事故の報告があったのはたしか土曜日とかだったと思う。週明けにならないと事態がわからないので、とりあえずその日は家に帰った。
 
 
ちなみに、当時の私は親に内緒で彼氏の家に住んでいた。
 
私の親はそういうことは結婚してから、という堅い人間なので、友達の家に住所を置かせてもらい、うっすらと同棲していた。
結婚を考えていた訳ではなかった。真面目につき合っていたつもりだったが、今から思うと、単純に彼氏彼女というものをどっぷり楽しんでみたかっただけだったんだと思う。
成り行きの同棲というものもやってみたかった(今は別れている)。
 
そんなわけで、私は家を持っていなかった。
 
社長が事故ったという報告を貰った後、彼の家に戻り、私は開口一番に彼に言った。
 
私「なんか、社長事故ったんだって」
彼「え、まじ、どうなるの」
私「さあ?」
 
本当に「さあ?」だった。
 
翌週、出社した副社長から状況を聞かされた。
簡単に言うと、社長は死んでもいないが、生きてもいない状態だという。
しばらくどうなるかわからないので、一旦は事業に関するマーケットリサーチをしていてくれないか、という指示がでた。副社長も副社長で、私に何かさせないと、と思ったんだろう。
数日たって、私は副社長に言った。
 
私「社長は社長でおいといて、事業はちゃんとやりませんか?」
副社長の回答は濁っていて、社長のご家族の意向もあるから何とも言えないとのことだった。
 
また少し日数がたって、副社長から呼び出された。
副社長「会社を2ヶ月後に閉める事にした。2ヶ月間はお金をあげるので、転職してくれ」
 
ここで住所不定無職が確定した。