Catch me If you can

酒を飲み、肉を食べ、犬と遊んで暮らしたい

加湿器付き空気清浄機がきた!

春、花粉の季節です。

わたしは2011年に発症し、自覚したのが2012 円だったので、かれこれ4年ほど苦しんでいます。
舌下なんとか治療をやりたいのですが、いつもタイミングを忘れてしまいます。


しかし!今年の私は勝ち組。なぜなら在宅で仕事をしていますから通勤がない=外に出ない=花粉も浴びない!
例年よりも苦しくないはずだ!と思っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、いうわけで、源泉徴収の還付金がかなり戻ってきた私は、思い切って空気清浄機を買うことにしました(今は伯父の家に居候してるのですがカーペットなのよ)
以下、私がTLのておくれ系面々にあれこれいわれてダイキンかシャープかで迷う様子。

 

 

 

 

 

 

 (しってるよ!)

 

 

 

 


結局こちらをプライムでぽちった

 

www.amazon.co.jp

 

 

 

 

プライムなのにありえない。どういうことですか!
(大阪の倉庫にあったらしく、時間がかかった様子)


それにしても9万を3万弱で買えるなんて世の中すばらしい。値引のギャップがすごすぎてもうよくわからない。


開封の儀をおえて、早速スイッチをオン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

## 数日たっての感想

- 明け方鼻が詰まらない!

- 目もかゆくならない!ごしごししまくって化粧水がしみることがなくなった!

- よく寝れるようになった! 

 - 鼻の粘膜はめっちゃ乾燥する

総評:90点!

 

導入前と導入後でQoLに明らかな違いが見られました。

 

 

ほしい物リストに入れたから送ってくれてもいいのよ。カラーコーンはいらないよ。

 

 

人生の壁は滝と向き合えば解決します〜青梅・御嶽山で身を清めよう!〜

この記事は壁ベントカレンダー12/23分です。
空いてたから書いたけどそれでいいよね?

www.adventar.org




突然ですが、みなさんは人生の壁にぶち当たったことはありますか?
私はボルダリング的な壁でいうと、今実家の青森からこれをかいているのですが
弘前じゃないとジムがないので、この土日に電車で1時間かけて
弘前いくかどうか悩んでいるのがそこそこの壁です。
 
 
 
 
 
 
さて、今回のテーマは「人生の壁」ですが、わたしは3年に1回のペースで人生の壁があります。
歴代第1位の壁でいうと、人生で初めて入社した会社がパワハラとセクハラの温床だったことですが、その次でいうとこれです。
 
 
まあでもこれはもうどうでもいいんですね。
今年もまあまあ波乱が万乗で、付き合ってた男がいきなり発狂→「別れる!!!」を繰り返すけど「でもほんとのところはお前のことが好きなんだ」と言い続ける、というわけわからない状況になりました。
今振り返ると発狂の理由もなんとなく想像つくのですが、夏頃に事件がありもう二度とお互い連絡をとることはなかろう、という状態になったのでもう何もないと思います。
 
 
さて、そいつが発狂したのは去年の年明けから3月くらいにかけてなのですが、こっちだって忙しいのに「おれは忙しいんだ忙しいんだだからお前と会う時間も取れない!」とわめくため、別れ話が進まないことに疲れていた私は、もう頭と気持ちと心が、疲労がやばくて、頭の中で彼氏が「別れる」と喚いてる様子がリフレインされちゃって、ほとほと参っていました。
※「メールで終わればいい」という人もいると思いますが、以前それで復縁を迫る連絡をされたことがあるので、きっちり対面でケジメつけないと怖いんですよ。。。
 
 
こうなると私はもう一人になりたい病が発症してしまい、仕事中にHome'sとトラベルこちゃんを一度に見るという精神状態に陥っていました。
でもね、プーケットを見ても、スリランカを見ても、ロンドンやローマやカーニバル最中のリオ行きのチケットを見ても、新しい間取り図を見ても(←間取り図大好き人間)、なにもピンとこないんです。
 
これはなんかおかしいぞ、ということで、ふと視点を切り替えることにしました。
 
「精神的に一人になれればいいんじゃないか??」
 
 
ということで、東京近郊で瞑想をしに行くことにしました。
 
 
 
# 瞑想が目的のはずだったのに
 
瞑想場所として私が行きたかったのはこちら
 
 

f:id:Seong15:20151222212456p:plain

 
素敵ですね。女子力高まりそうです。
私、星が好きで、お葬式は宇宙葬と決めているのと、星座とかも知ってるんですが、高校では地学を選択してスペクトルとか光の速さとか勉強してました(地学の偏差値は50、数学の偏差値は27です)。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

私が実際行ったのはこちら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

f:id:Seong15:20151222212143p:plain

 

 

f:id:Seong15:20151222212328p:plain

 

 

www.seizan.gr.jp

 
 
 
 
#なぜこんなことになったか
 1つ目の宿坊、電話がつながらなかったからです。
まあでも2つめも瞑想あるし、良いかなと思っていました。
滝行の2文字が見えましたが、「やらなくてもいいよね」と思っていました。
 
 
 
# 予約をするときの私
私「あのー、今週の土曜日いきたいんですけど」
宿の人「今週の土曜ですね、はいはい、ちょっとまってね、あのー
 
滝はやりますか!」
 
 
私「た、滝ですか?;;;;;;;;;」
 
 
宿の人「そう、滝!」
 
 
私「う、あ、や、ります」←気圧された

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#これです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151222212158j:plain

f:id:Seong15:20151222212205j:plain

※女の人はさすがに着てます
 
 
 
#感想
 
1:結構すっきりする
なんとなく身が引き締まった気分になり、肩の荷が下りた感じがします。
そのあと一緒にやったクリスタルボウルを聞きながらの瞑想もよかったです。
 

www.youtube.com

クリスタルボウルっていうのはこういうかんじの楽器でして、ブライアンイーノのとか好きな人なら好きだと思います。
 
 クリスタルボウルはかなりハマり、汐留で定期的にやっている演奏会を聴きに行っていました。下手なマッサージより効果ある。いちおうアメリカでは医療行為として認められているみたいです。
 
 
 
おまけ:ブライアンイーノ=Windowsの起動音するときの音楽作った人
 
ブライアンイーノの通常運転
 
 
2:朝やばい
滝行と瞑想は夕方1回、朝1回でワンセットなのですが、朝は6時くらいに起きて、1時間くらい滝に向かって歩くんですね。
歩いている途中はわりと体がぽかぽかしていいかんじなのですが、夜の気温で冷えた滝はマジで冷たい
それでもそのあと入る温泉はきもちいいです。
 
 
3:米うまい
身を清めてお湯で体をあたためるからなのか、それとも水がいいからなのか、お米がとてもおいしかったです。
夜は鮎の塩焼きだったんですけど、おいしかったです。ごはんは全体的においしかったです。
 
 
ちなみにトイレは汲み取り式です。
 
 
 
#よかったこと
1:日本で働いているめっちゃ可愛い台湾人の子と仲良くなった(一緒にそば食べた / その子は台湾の出版社から依頼されて日本の珍しい体験をレポートしているらしい)
2:この日は3月で、しかも全員女性だったのですが私と台湾人の子意外の3人は10年以上ここの滝に通っているという滝ベテランの方で、普段は看護師の仕事や職業斡旋のお仕事をしているらしいです。なるほど。
 
 
 
 
# その後について
その台湾人の子と、2016年2月くらいに、星空のほうの宿坊行くかもしれないんですけど行きたい人いたらtwitterでどうぞ。
 
 
人間何事もノリといきおいですね。
 

 

2015年アラサー喪女壁物語

#この記事は壁ベントカレンダーの記事ですっつーか手書きです。

www.adventar.org

 

 

 

 

2015年アラサー喪女壁物語

f:id:Seong15:20151213001742p:plain

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151213001746p:plain

 

っていうかんじで壁をはじめましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとはカラファテ行ってジャックなかねにたくさん説明してもらいながらシューズ買ったくらいです。

 

 

 

 

もうないかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとにないかな????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151213001752p:plain

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151213001801p:plain

 

 

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151213001808p:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばしの沈黙があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:Seong15:20151213001814p:plain

 

 

 

 

 

 

<<出典>>

# とんかつDJアゲ太郎(読んだことない)

plus.shonenjump.com

 

 

# C丼:おそらくこちらが一番おもしろい。そしてわたしはエンジニアではない。

[C#] マイクロソフト キャンペーンの「C丼」を作って実食してみた (プログラミング C# - 翔ソフトウェア (Sho's))

 

# その他の画像:壁ベントより。勝手に使ってごめんなさい。ネタがなくて。

 

プログラミング1ミリもやったことないけどPycon行ってPyladiesの合宿にまで行った話

 

#この記事はPython Advent Calander用の記事です

www.adventar.org

 

 

15といいます。普段はしくみ製作所というところでブログを書いていますアドベントカレンダーは今年初めて書きました。昨日イカについて書いたのがデビューです。

本稿はPython、というか、プログラミングを1ミリもやったことがない人間がPythonに興味を持ち、PyConに行ってみて、PyLadiesの合宿にまで行った話を書きます。
含蓄のあることとかはかけないと思いますので最初に謝っておきます。しゅみましぇん。

 

# Pythonに興味を持つまで

わたしの素性でいうと
- 14歳くらいのときからCSS,HTML,Javascriptをいじってサイトを作っていて(まだinfoseekが楽天になる前/薄い本のためのサイトです
- 社会人になってからはネット業界向けの人材サービスやっていた

というかんじで、わりといんたーねっつには明るいITじゃない人でした。

プログラミングやろうかなーと思ったのは去年の今くらいで、単純に「なんかちゃんと自分でものづくりができないとこの先やっていけない気がする」と思ったからです。

私はエンジニアやデザイナー、プロデューサーの方のキャリア相談に乗る立場、いわるゆる「キャリアコンサルタント」という立場だったので、わりと技術トレンドの大きな文脈の情報もはいってきていました。もう二度と人材紹介やらないし求人広告も売らないと思いますが、またそれは別の話。

今までお客さんだったエンジニアさんは、Ruby, Objective-C, C#, Javaとかの方が多かったのですが、私のキャリアコンサルティングのスタイルは「複数の人/会社のスキル/キャリア/キャラクターパターンを学習してデータとして蓄積し、双方の特徴をマッチングさせる」だったので、そういう思考回路と相性がいいかな?と思ってPythonに興味を持ちました。ちなみにRubyも同時並行で勉強を始めたのですが、早々に挫折しました。軍隊英語みたいで怖いからです…。


# ねこたろう先生を捕まえる

さて、勉強するにはやっぱり本を…と思って、いくつか買って読んでみたのですが、なるほどわからん、という状態がしばらく続きました。これでは進まないなーと思ったので、前に仕事でお会いしたPython歴3年のねこたろう先生をつかまえ、教えて下さいと食事で釣りました。今年の8月の話です。
ねこたろう先生はもともとDBAだったので、アプリ開発よりレイヤーは低い方だったのですが、最近はワイヤーまで引かれるそうで、マルチです。なぜねこたろう先生なのかというと、ご本人が猫が好きだからです。

ワイ「せんせいぱいそんおしえろくださいよろしくおねがいします><」
先生「いいですけど職業エンジニアとして通用するくらいまでやってもらうので厳しいですよ?」


ねこたろう先生の厳しい教育のおかげもあって、通算1週間くらいでtwitterで自動でつぶやくbotを作るくらいまでには至りました。

twitter.com



#PyConに行く

なんで初学者がPyCon知ってるの?と疑問に思われる方もいると思いますが、
じつは友人がスタッフをやっているので(3年目)、存在は知っていました。
初学者にとっては難しい内容なんだろうなーと思っていましたが、案の定難しかったです。
その中でも面白かったコンテンツは以下でした。

www.slideshare.net

www.slideshare.net

(歩行学習の様子、気持ち悪いかわいいです)

あと、結構海外からいらっしゃってる方もいました。いちおー私は外資的なところにいて、英語は話せたので、ぶっちゃけていうとそっちと話すのが面白かったです。

ちょっとくすっと笑えたのは、海外のエンジニアも日本のエンジニアも、「ああ、エンジニアさんだな〜」というコミュニケーション能力の取り方だったところです(海外のエンジニアさんのほうが話題が広い部分はあります)。2年ほど外資系のオラオラリクルーティング文化にいた私にとっては超癒しでした。
また、世界中のPyconをめぐってる人とかもいて、好きなバンドの全国ツアーの全てに行こうとするファンのようだなと思いました。

 

Pycon期間中はコンテンツをいくつか見て回っていたのですが、その中でPyLadiesのnoblisさんのコンテンツを見ました。
Pythonの女性コミュニティってあるのか!もくもく合宿があるのか!しかも初心者歓迎だと!やったあ!」と思って、twitterでPyLadiesの中心の人のamacabeeさんにたどり着きました。

 

 

 

みなさんその節はありがとうございます。

ワイ「まじでほんとに何もできないんですけど合宿とかって行ってもいいものなんですか?」
macabeeさん「あ、全然いいですよ〜歓迎です」

やさしい…!
connpassでぽちっと申し込みました。

pyladies-tokyo.connpass.com

 

#PyLadies Tokyoの合宿

PyConから合宿までの間、私のPythonライフにはちょっとした変化があって、私はSplatoonをやっているのですが、このプロダクトに参加してみたいなと思って界隈をうろちょろしていました。

www.slideshare.net

github.com


が、初心者にOpenCVはかなり難易度が高かったらしく、環境構築で闇落ちしまくっていました。当時の様子です。ご査収ください。



合宿ではなんとかこれをクリアにしたいぜ…!と目論んでいました。もくもく合宿に行く、といったら、ねこたろう先生は「えっ、あんなシビアなものにいくんですか、大丈夫ですか」といっていましたが、どうにも私の認識しているもくもく合宿と先生のそれは違うみたいでした。先生、どんだけ過酷な環境を生きてるんだ。

当日のPyLadiesもくもく合宿レシピ

pyladies-tokyo.connpass.com

 

そして当日の私

 


無論、遊んでいたわけではなく、きちんと「こういうことがしたい」と伝えてがんばってMacちゃんとにらめっこしていました。

 

いろんな人に質問しながら、今回は

- requirement.txt
- pip3はpipじゃない
- sudoでこじあけてねじこむ

などの技を覚えました。amacabeeさん、cocodripsさん、yuryuさん、ありがとうございました。手をとめさせてしまってすみませんでした。次までもっと理解が深められるように努めます。



# まとめ
学習は亀なみのスピードだしいろんな人に迷惑かけながらですが、ちょっとずつ「自分が作ったしくみで何かが動く」という薄い本を作るのとはまた別のものづくりの体験ができているように思います。作るって難しいし面倒だけど楽しいですね。

17年ぶりくらいにイカのために据え置きゲームを買ったら人の関わりが増えた

#この記事はAdvent calander用の記事です。

www.adventar.org


Advent calanderは初めて書きます。15といいます。普段はしくみ製作所という会社でブログかいています。
 
タイトルにもありますが、Splatoonを今年の9月に買うまで、中2くらいの頃からゲームをしていませんでした。そんな私が5万かけてイカ環境を整え、企業対抗Splatoon大会に参加するまでと、イカライフ周辺について書こうと思います。

まず、ゲームをやっていたのは小学校〜中学校あがったくらいだったのですが、当時はぷよぷよ一択でした(SUNのためにセガサターンを買いました)。現役でやってた頃は8~12連鎖くらい当たり前に連作を組んでいたので、かなりやり込んでいました。
 
ゲームをやれなくなったのは薄い本を作る活ど年相応にゲーム以外のことが忙しくなってきたからで、それ以降はゲームがハイエンドになるにつれて手が出なくなり、やってませんでした。
 
そんなゲームとは縁遠い生活を送っていた薄い本の活動も卒業した私は、丸の内OLをやっていた今年の五月、トレインビジョンでこのCMを見ました。
 
 
「新しいアニメ?それとも意識高い系ネット企業のCMかな?」と思ってました。ゲームなのか!!!!
 
おしゃCMだったのでギャップに驚きましたが、CMだけで「うわ…ほしい…」と思う商品は、もうここ6,7年くらい現れなかったので、ずーっとほしいと思っていました。
 
私「でもお高いんでしょう?」
WiiU「しめて3万5千円です!」
 
という状態に二の足を踏んでいました。
さらに、私の家にはテレビがなかったので、モニターまで揃えると5万はいきます。就職先を決めずに会社を辞める前だったので断念していました。
 
 
ところが、8月に業務委託で仕事を受け始めた会社=現職(しくみ製作所)で、エンジニアが「イカが好きすぎてイカのサービスを作りたい」と言って、本当に作ってしまったのをきっかけに、私もついに「インターネット同時申し込み」という魔法を使ってSplatoonを購入するに至りました。
 
同時に携帯とかも揃えたので4万くらいはかかってしまいましたが、すぐにそれはペイしました。
というのも、おそらく服代(2〜3万)とかバーに行って1回5000円×3回の代金を毎月はらっていたのですが、イカのおかげで外にでなくなったからです。
 
お金ういたやったあ!という状態がしばらく続きましたが、いやしくも私はアラサー喪女、「このまま引きこもってゲームばかりして友達もできず仕事とゲームだけの孤独な人生を歩む可能性それでいいのか」という不安が胸をぐさりぐさりとぐさります。
 
ところがある日、イカ担当のエンジニアhozumがこんなことを言ってきました。
 
hozum「なんかSpeeeさんとIT企業対抗イカ大会に参加することにしたんですけど一緒に出ます?」
ワイ「え、でるでる」
 
 

# SpeeeさんでのSplathon

というわけで、11/29にSpeee社でSplathonに参加してきた。
 
こまかいことは@yuma_iwasaki さんが書いてくれてるのではしょりますが、
Splatoonはマルチプレイなので、横で友達を集めてやったほうが楽しいのは当たり前といえば当たり前でした。
古い世代のネット人間の私には「まずはネットでも挨拶してどこかで何度か会ってから初めて友達に」という感覚だったので
こんなにサクサクと横で友達をつくる弊社のイカエンジニアの友達作成能力には脱帽です。
大体の方がエンジニアで、特にドワンゴピクシブの2社はアップが怖いと思えるくらい強かったです。
みんなそれぞれ工夫してイカをやっていて、ある方は動画撮影で自分のプレイを確認、ある方はバランスボールのってイカをやり
健康に配慮というような具合で、いろんなイカライフがあるんだなあと思いました。
 
 
# イカ関連プロダクトの集い
同時並行で、弊社のイカエンジニアはいろんなイカつながりを拡大させており、
私もそれに追従する形で、イカプロダクトをつくっている人を知るようになりました。

特に私は画像認識×機械学習に興味があったので、
IkaLogというプロダクトが面白そうだなと思っていました。
エンジニアではないし、キャプチャーデバイスも持っていないのですが、
WebcamのデータもIkaLogで読めるようにしよう、という試みをされていたので
 「めっちゃ足手まといだと思いますけど、何かお手伝いできたらなと思ってます」と伝えたところ
 
IkaLogの人「なるほど〜いいですよ〜じゃあこれやってください」

github.com

 
やさしい…!!!
(そして、IkaLog開発環境を整えるのに1ヶ月以上時間がかかる顛末となりました。
前提にすらたどり着かなくてまじでつらいです)

で、11月にたまたまIkaLogの人と、そのご友人の方々と飲む機会がありました。
eject(CDがういーんて出てくる部分)で家電ハックをしてる方、某サーバーの会社の方、着物ライフな方などおもしろいエンジニアの方々です。ちなみにejectの人からは「マインクラフトやろう。イカより長くプレイできる」と言われましたが、私がマインクラフトをしばらくの間マインスイーパーと勘違いしていて「なんであんなのはやってるんだろ?若い子ってわからないな」とか思っていたのは秘密です。
 
その後、某サーバーの会社の方からは「イカセンターで弊社のイカ部が忘年会やるんですけど、いらっしゃいませんか?」と御誘い頂き、わたしもイカフレンド自動生成の波に乗れていると実感しています。
 
 
# キャプチャーデバイスの罠
さて、ここまでくると自分もきちんとウデマエをあげなきゃいけません。
Webcam×IkaLogで頑張る予定でしたが、やっぱりプレイをきちんと見直したいと思い
キャプチャーデバイスを買おうかと思っています。でも、Macで録画環境揃えるってすげえ金かかるのな!!3万くらいだって!
イカに対してわたしは7万の投資をすることになりますよ!!!
 
 
#まとめ
ほんとうはSplathonが終わったあたりでもう飽きるかなと思っていたんですが、
それはわたしがまだまだやり込みがたりなかっただけで、もっとやり込んでから飽きなければいけないんだなと反省しました。
年末年始にたくさんやりたいと思いますが、正直ゲームでこんなに人の輪が広がるとはおもっていなかったので
大人になったらゲームで友達できるんだな〜〜〜って感慨深いです。
イカありがとう。

「社長が事故って意識不明で復帰できないから転職活動してくれ」と入社約1ヶ月後に言われて住所不定無職になった(後編)

前回のつづき

 

seong15.hatenablog.com

 

 
無職が確定したので、とりあえず転職活動するかと思って、4社ほど転職エージェントに登録した(もしかしたら、もっと情緒的な人なら途方に暮れたり、社長を支えますとか言ったりするのかもしれないけど、そこらへんのネジがぶっとんでる人間らしく、「とりあえず動けばなんとかなるか」と思っていた。その後、辛い辛い転職活動が待っていたのだが…)
 
大手3社、中小で自分のコネで案件をひっぱってきているようなところが1社。ちなみにリクルートエージェントは対応がむかついたので使わなかった。
 
転職にあたって、副社長から、「知り合いの社長が引き取ってくれるって言ってたけど、話だけでも聞いてみれば?」と言われていたが、返答は濁していた。
理由は簡単で、人のコネで入るのが嫌だった。「一つのところにいる保証なんてないし、辞めるとなったら紹介してくれた人のメンツがたたなくなるから」と、そう思っていた。誰かにお願いして自分の人生の重要事項を決めるのは、本当に窮地に立たされてからでいいし、まだそこじゃないと思っていた。端から見たら、とっても窮地にたたされているのだけど笑、そうやって振った話が2つもあったのだから、若いっていいよな。
 
エージェントに登録して、50社ほどサクサク応募した。中小の新卒使い捨て文化の会社にいて、たかだか130%くらいしか達成していない自分は量を受けないと決まらないと思っていたからだ。
意外にも、「無形商材営業、第二新卒」は市場ではニーズがあった。風通しがよさそうなネットベンチャーに的を絞っていたのだが、結果的に30社ほど面接にいった。
(一応、名の通った大学に行っていたので、そこらへんもアドバンテージだったのかもしれない)
 
1日に2、3件の面接をこなして、何も無い日は、家事をして、彼氏のシャツにアイロンなんかかけながら「あー、こんな風に専業主婦っぽいことするのも、最初で最後だろうなー」と思っていた。
 
ちなみにこの彼氏は、私が転職活動中は一切サポートしてくれなかった。別に一日中寄り添ってどうのこうのしてくれる必要はなかったのだが、さすがに私も次どうするか真剣に悩んでいる中で、気持ち的に参る事もあった。しかし彼は「転職活動どう?」だったり、「大丈夫?」だったり、気遣う質問は一切してこなかった。
むしろ、友達と遊びに行ってしまったり、朝まで帰ってこないということのほうが大半だった。
私はその行動にイライラしながらも「あー、精神的に幼い旦那を持つ専業主婦ってこんな気持ちなんだろうな」と状況を客観視していた。
そういう希薄な間柄だったから別れたんだと思うし、もしかしたら若い男性というのはそういうものなのかもしれない。私からもっと「話をきいて」と頼ればよかったのかもしれないが、そこまでしたいと思える間柄でなかったというのも事実だ。なぜか当時は彼とつき合っている事に惨めさを感じていたのだが、振り返ってみると、希薄な恋愛関係は人を惨めな気持ちにさせるのかもしれない。
 
 
話を戻す。
転職活動は、最終的に5・6社ほど最終面接となった。一番初めに内定をもらった会社は何かの研修を売ってる会社だったが、断った。始業と終業の時間にチャイムが鳴る会社で、「中学校みたいだから無理」と思った。
 
2社目に内定を貰った会社は、丸の内にある大きな会社だった。1部署の人数だけで、前の会社の全体と同じくらいの人数いた。
統括部長、役員と話をしてみて、「この人たちなら信用できるかな」と思って入社を決めた。
そのときの話はまた後日に書く。
 
ちょうど、会社をたたむタイムリミットの2ヶ月が終わる頃だった。秋口だった。
内定を受けた翌々日、実家に帰って、そこから1週間くらいのんびりした。親に「心配かけてごめん」と伝えたら、父親に「俺はお前に何があってもおかしくないと思ってる」と言われてしまった。あの…私…一応女なんですけど…。
 
丸の内の会社では、入社後の配属先で極めて丁重に扱ってもらった。人生の中で「幸せな時間」がいくつかあるとしたら、そのうちの一つだったと思う。それもまた別の記事で書く。
 
働いてしばらく経った後、たしか翌年の春先の話だったと思うが、事故った社長からメールがきた。
携帯が使えるまでに回復したらしい。
メールの内容はこんなかんじだった。
 
「俺のわがままや身勝手で、結果的に色々迷惑をかけて、申し訳なく思っている。」
 
私は「リハビリがんばってください!」という、極めて当たり障りのないレスを返した。
 
事情を知る友人は「ずいぶん大人なレスをしたねww」と言っていたが、
私の中には「人生めちゃめちゃにされた!責任とれ!」とか、そういうたぐいの気持ちは無かったし、
むしろ「ああ、謝罪するというのは自己満足だな」とか、「奥さんと子供は大丈夫かな」と思う気持ちの方が強かった。憐憫である。
 
 
この件で私が学んだのは、人には「身の丈」というものがあるんだろうなということだった。
彼はおそらく、大手でぬくぬくやっていたら、こんな風になる事も無かったのだろう。元々お坊ちゃん育ちだったようだし、ベンチャーのようにドライで、結果主義の人間が活き活きするような畑には来ない方がよかったのかもしれない。変な言い方だが、私はむしろ、事故は神様のプレゼントだったんじゃないかと思っている。
彼があのまま事故に遭わずに会社をつづけていたら、謎の資金繰りをして、IPOもバイアウトもできず、そのまま会社を潰していたんじゃないだろうか。
もしくは、もっとワーストコースを走っていたかもしれない。
 
自分の身の丈に合った枠にいないと、運命とか、神様みたいなものの力で、強制的にそこからはじき出される。そういう事例だったんじゃないかと思う。
 
それは、結局この時の事件を経て、大きい会社に入社した私にも言えた事だ。
情緒的で感情的でわがままで自分の思った事を絶対曲げない、そんな「社長」という生き物をいなしながら、自分のやりたい事をやるには、当時の私は力量不足だったのだ。
おせっかいな何かに、「もう少し人にもまれなさい」と、道を決められた、そういうことだったように思う。
(その証拠に、入社してもいいかなと思える会社から内定をもらえたのは、この時入社した1社だけだった。私の行く道は、何かによって自動的に決まっているんだろうなと思った)
 
実際、その後の4年近く、私はその時入った会社で,居心地よく、ぬくぬくと、「大手にいるメリット」みたいなのを享受することができた。
一応、しっかり仕事もしていたので、お客さんもついてきた。本当に関わりの深いお客さんは、今は友人と化し、仕事人としての期待と、友としての親交と、両方をもって関わってもらっている。

「社長が事故って意識不明で復帰できないから転職活動してくれ」と入社約1ヶ月後に言われて住所不定無職になった(前編)

 
現在進行形の話ではないが、面白い話だといろんな人に言われるので、振り返りがてら書いてみる。内容は淡々としているので、ドラマティックなかんじはない。
 
それはちょうど今と同じく夏で、7月だったと思う。私は新卒で2年3ヶ月つとめた100人くらいの会社を辞めて、その年の春に立ち上がったまだ2人のベンチャーに3人目のメンバーとしてジョインした。
 
ベンチャーという選択をした理由については、いろいろある。簡単にまとめると、自分の会社選びのセンスに自信がなかったので、ベンチャーだったら金さえあれば好き勝手できるかな、と思っていた。
 
「自分に会社選びのセンスがない」と思っていた理由は、簡単に言うと1社目でモラハラとセクハラとパワハラと女性の先輩からのイジメを受けたから…というと大げさだが、まあ大体そんなかんじの方向性のことがあって、「あーなんか嫌な予感してたけどこういうことだったかー内定辞退しとけばよかったー・・・!」と心底思っていたからだった(かといって、他に内定がとれていたところもなかったので、そこに行くしかなかったけど)。

  

入社から2年、営業職として、一応年間で130〜150%くらい達成できるようになっていたのと、当時担当していたとあるネットベンチャーのお客様から「君にはもっと高みを見てほしい…事業をきちんと持っている会社に行く事を心底お勧めする!」と言ってもらった。「あー、そういう風に言ってもらえるくらいにはビジネスマンとして価値のある人間になったのかな」と思い、転職先を探し始める段階だった。
 
 
ちょうどその頃知り合ったのが、そのできたてほやほやの会社の社長であり、彼から「お前を育成してみたい」と言われていた。100人程度の会社でたかだか130%くらいの達成率で、自分に転職会社経由で売れる市場価値があると思っていなかった私は、「そこまで言うなら、お手並み拝見」と思って入社を決めた。
 
ただ、先述の通り、相手は大手企業出身。しかも金持ちの家に育ったボンボンで、本当に、ゼロから数字を作るのはどういうことなのか、ぜんぜんイメージをもっている人ではなかった。金もじゃぶじゃぶ使うタイプだった(スタートアップなぞ6帖のマンションオフィスでいいのに、私の入社直前にやたらいい物件を借りていて、ドン引きした)。
かたや、新卒1〜3年目の間にリーマンショックがあって、焼け野原しか見ていない私は、目の前のお金の1円1円が痛いほど大切、という仕事観だった。「この1円を逃したらやばい」「話がきたものは全て決めなければならない」
そういう状況を若手時代に経験できたことは本当にこの先も活きる経験だったとおもうのだが、そういう具合で、私たちは対局だった。
 
私が相手の人柄をよく観察せず入社したものだから、3週間の短い間で、事業の中身からコミュニケーションの取り方まで、とにかく悪い感じにぶつかっていた。夢とフワフワした実行方法しか話さない社長、「社長の言ってるやり方で金が儲かるイメージがありません」と顔に出す私、そういう構図だった。
 
一番決定的に「あ、こりゃだめだな」とおもった瞬間はこんなかんじだ。
 
・これから会社の資金ほとんどを投じて始める事業について社長の構想の説明を受ける
・中身としては、オタク向けのネットサービス
・元々ビックサイトで夏と冬に薄い本を売っていた私から見て「絶対オタクの間では流行らない!!!」という香りしかしない
・私「いや、それは上手く行かないと思います。やるならそこじゃなくてもっとこんなかんじです」
・社長「お前は俺のことを助けようとしていない(激昂した顔)」
・私「???????」
 
私の心の声:資本金がたいして無い会社で、毎月キャッシュが100万ずつ出て行ってる状態で、キャッシュアウトまであと6ヶ月しかなくて、そういう制限の中で「うわーこれ儲からないよ!」と思った事業に対して、「儲からないと思いますよ」と伝える事は、本人を手助けしていないのだろうか??お前会社成功させるんじゃないのか???というか、そんな「俺を手助けしてない」とか情緒的なコメントまじ時間の無駄キレるヒマがあるならビジョンに対して良くて儲かる事業を考えろよ!
 
こんなかんじで、毎日心の中で盛大なツッコミをいれていたが、言ったら刺されそうだったので言わなかった(指摘されてキレるなら入社させるなよというかんじだが…。)
 
 
そんなことがあったので、「アー私って会社見る目だけじゃなくて人を見る目も無いのかなーへこむー!」という気持ちだった。今振り返れば、25歳の小娘が看破できる他人の人間性なんてこんなものだったけど。社長自身にもあまり興味がなかったのも事実だ(だって、彼の言ってる話が全然心に響かなかったのだ。面白そうだと思ったのは会社の事業ドメインだけだった)
 
「あー会社いきたくねー社長に会いたくねーめんどくせー、私この会社絶対長くないよ」と入社日から思って3週間、社長と副社長が出張に地方で行った2日後ぐらいに、私は関内の店で友人たちとゴハンをたべていた。その時、副社長から電話があった。嫌だなーと思いながら、電話に出た。
 
副社長「もしもし?今大丈夫?」
私「ハイ」(酒に酔ってる)
副社長「落ち着いて聞いてくれる?社長が事故にあった」
私「…はい?」
副社長「詳しい状況はまだ検査が終わらないとなんともいえないんだけど」
私「はあ…(事故ってどのレベルだ?)」
副社長「かなりの大事故だから、今後会社がどうなるかわからない」
私「はあ(なるほど、あかんやつや)」
副社長「また追って連絡するから」
私「あ、よろしくおねがいします」
 
友人たち「どうしたのー?」
私「なんか、社長が事故ったって」
友人たち「ええっ!?大丈夫なのそれ!?」
私「大丈夫かどうかが今わかんないけど、やばそうだった」
友人たち「そっかー、どうなっちゃうの?」
私「わかんない。とりあえずゴハンたべよ」
 
自分が冷たい人間なのかどうかはわからないが、わりとすんなり事実を受け入れていた。というよりも「私絶対この会社長くないよ」と思ってすぐにこんなかんじだったので、事故そのものよりも、自分の「次のステップ引き寄せ」具合に驚いていた。また、その時点で、今後自分や会社がどうなるか、2つの方向性を考えていた。
 
1:会社解散
2:社長抜きで会社継続
 
状況がなんとも定まらなかったが、私の中では「せっかくハコはあるんだから、社長抜きで出来ないかな…」と思っていた。もうベンダーにもプロジェクトはお願いしてしまっているし、事業もまだ手を入れればなんとかなる状態だと思っていたからだ。
 
 
事故の報告があったのはたしか土曜日とかだったと思う。週明けにならないと事態がわからないので、とりあえずその日は家に帰った。
 
 
ちなみに、当時の私は親に内緒で彼氏の家に住んでいた。
 
私の親はそういうことは結婚してから、という堅い人間なので、友達の家に住所を置かせてもらい、うっすらと同棲していた。
結婚を考えていた訳ではなかった。真面目につき合っていたつもりだったが、今から思うと、単純に彼氏彼女というものをどっぷり楽しんでみたかっただけだったんだと思う。
成り行きの同棲というものもやってみたかった(今は別れている)。
 
そんなわけで、私は家を持っていなかった。
 
社長が事故ったという報告を貰った後、彼の家に戻り、私は開口一番に彼に言った。
 
私「なんか、社長事故ったんだって」
彼「え、まじ、どうなるの」
私「さあ?」
 
本当に「さあ?」だった。
 
翌週、出社した副社長から状況を聞かされた。
簡単に言うと、社長は死んでもいないが、生きてもいない状態だという。
しばらくどうなるかわからないので、一旦は事業に関するマーケットリサーチをしていてくれないか、という指示がでた。副社長も副社長で、私に何かさせないと、と思ったんだろう。
数日たって、私は副社長に言った。
 
私「社長は社長でおいといて、事業はちゃんとやりませんか?」
副社長の回答は濁っていて、社長のご家族の意向もあるから何とも言えないとのことだった。
 
また少し日数がたって、副社長から呼び出された。
副社長「会社を2ヶ月後に閉める事にした。2ヶ月間はお金をあげるので、転職してくれ」
 
ここで住所不定無職が確定した。